浮気の心理とは

 

 

「浮気は罪悪感を一切感じないモラルの欠如した人がするものだ」

 

と言っている人がいた。

 

 

わたしはそうは思わない。

 

 

浮気は人間性のせいじゃない、

きっかけの有無。

 

 

相手よりも自分のことを大切にしてたら、タイミング次第で誰だって浮気する。

 

 

何かが満たされなくて不満を抱いてるときに浮気のきっかけがあったら、きっとダメだダメだと思うだろう。

 

でも、そうやって自分の衝動押さえつけるよりも恋人を裏切った方が気は楽なもの。

 

 

自分が苦しむことに比べたら、恋人だろうがただの他人が苦しむことなんてなんでもない、

他人を自分以上に愛せるわけない。

 

 

それでも浮気を絶対しない人は、浮気しない自分を愛してるか、死ぬほど自分が浮気されたくない人。

とりあえずやってしまう性格

 

 

大まかな概要しか把握せず、とりあえず実行してしまう節がある。

 

 

間違いや失敗を予測しないで、それが起こってから正せば良いと思ってしまうのだ。

 

 

 

例えばスーパーで買い物をしている時、手持ちのお金では足りないだろうなと思っても、とりあえずレジに持って行く。

結果「これやっぱやめます」という迷惑行為も度々である。

 

 

さらにひどいのは、他人に指示を与えるとき。

はやとちりして、間違えた指示を平気で出してしまう。

後輩は大変困惑していた…

申し訳ないことをした、反省するばかりである。

 

 

 

失敗を恐れないのだろうか?

楽観的なのだろうか?

軽率で、慎重さに欠けているのだろう。

 

 

もう少ししっかり丁寧に考えてから行動したいと思う。

 

 

食の豊かさと高身長化

 

 

年々、人間の平均身長が伸びている。

 

その理由を考えてみた。

 

 

 

まず、熱帯の孤島において、野生動物はより小さく進化する。

 

それは、体積と表面積の比を小さくすることで効率的に熱を発散するため、また、少ない餌で生きていくためでもある。

 

 

これは日本の平均身長が高くなってることにも通ずるのではないだろうか。


高身長な方が、豊富な食料の中で健康な体型を維持しやすいから。

 

 

ちなみに、南朝鮮北朝鮮は同じ民族であるが、平均身長に差があるらしい。

 

これも食の豊かさと高身長化を裏付ける一因になりうるのでは。

 

 

 

ドラえもんの声優が変わったこと

 

ドラえもんの声優が変わったことにまだ慣れない人がいる。

 

F先生の原作じゃないと面白く無いとか昔の方がいいとか言う人もいる。

 

 

しかしわたしは、どんなドラえもんでも大好きだ。

  

世代ではないが、新旧アニメ・映画、見られるものは全て見た。

 

 

現在放送中のドラえもんを受け入れられない人は、なんでドラえもんがここまで国民的に愛されるアニメなのか全くわかって無いと言っても過言ではない。

 

ドラえもんを愛してるぶってるようだけど、

その愛は、昔の自分が子供だったころのドラえもんに、またはF先生自体に当てたもの。

 

本当に『ドラえもん』を愛してるわけじゃ無いのだ。

 

 

ドラえもんの良さは、未来から来た愛らしいロボットが現代では製作不可能な道具でできの悪い少年の希望を叶えることだと思う。

 

わたしにとって声優やストーリーの構成などはほとんど関係ない。

 

この素晴らしい設定がわたしに夢をくれるのだ。

 

 

 

しかし、最近若干嘆かわしいのは、アニメ版ドラえもんがリニューアルしたことで、全くストーリー構成が同じリメイク版ばかり放送していることだ。

男はわざわざ髪型のちょっとした変化に気付くな

 

 

ウザいのだ。

 

 

ロングから急にショートにしたら

「ショートも似合うね」

くらいは言ってほしいけど、

前髪切ったとか毛先揃えたとか髪色ちょっと変えたとかそんなのはむしろいちいち言われてもウザい。

 

 

うんそうだよだからなに?といった具合である。

 

 

そんなのはモデルチェンジではない、メンテナンスなのだ。

 

ぜったいに改悪していない自信があるので、わざわざ褒めてもらわなくてよいのだ。

 

 

そういう小さいことに気づいて欲しがり、憤慨する女もいるのはたしかだが、

少なくともわたしは気味の悪さを感じるか、そういうのにすぐ気付ける俺アピールを感じ、めんどくさい。

 

 

マメじゃなくて細部にこだわらない、豪快で野生的な男性が男性らしくてよいと思う。

 

 

ちなみに好き嫌いが激しい男性も苦手。

 

お前は本当に雑食性の生命体か?と問いたくなる。

 

選り好みせず出されたものを食べやがれ。

 

 

 

胃ろうのこと

 

 

わたしは一応、医療に従事した教育を受けている。

 

 

そのためこのような延命治療にも関心がある。

 

 

わたしは将来、老いに従って食べることができなくなった場合、延命治療は望まない。

 

 

最近では本人、家族もそのように希望することが多いそうだ。

 

 

 

 しかし、とある知り合いの女性は、祖父がそうなった時、「胃ろうにしますか?」と医師に聞かれたことに憤慨していた。

 

 

胃ろうにすればまだ怒られるだろうが!!!

しない選択肢はない!!!!

 

と。

 

 

わたし自身は延命治療を望まないが、大切な人が食事を口から摂取できなくなったら、たしかにそれだけで生を諦めることはできない。

 

 

経管栄養を望まないのが愛がないとは言わないけど、大切な人が死にかけてたらほんとに死ぬまで抗いたいのかもしれない。

 

どんな手段を使ってでも生かしておきたいのかも。

 

 

延命治療により救われるのは本人ではなく家族だと思う。

 

失恋したら髪切る女

 

なぜ失恋を理由に断髪するのか。

 

先のことを考えると、それにメリットは無い。

 

 

切った時はスッキリするのかもしれない。

 

たしかに体のほとんどの有機物は代謝に伴い入れ替わるが、

髪は自然に無くなるものではない。

 

 

しかし、毎日鏡見て髪の短い自分見るたびに失恋したことを思い出すのに耐えるのだろうか?

 

 

 

失恋した時は、できるだけ日常を変化させず、

無心で彼のいない日常に慣れ傷が癒えるのを待つのが最善だと思う。